りゅうくんのお預かり 育児用品や環境の進歩など

※この文章に登場する名前は、私の名前以外は全て仮名です。

本日は、りゅうくんのお世話をさせて頂きました。

リピートのご依頼

今回の依頼者であるユカさんは、一ヶ月ほど前、私のベビーシッター初仕事をした際に依頼頂いた方だ。リピート頂けたということだ。

前回、ユカさんは、私がどういうおっさんなのか全くわからない状態で、私にシッティングをご依頼してくれた。度胸のある人だと思う。前回は、ご自宅内で、ユカさんご自身も同じ部屋に居る中でのお預かりだった。たぶん、私が変な人であったとしてもリスクヘッジできる、と考えていらっしゃったのだろう。バランス感覚のある人だなとも思う。

このユカさんのおかげで、私はベビーシッターとしての実績を、ほんの少しだけれど積み始めることができた。私にとって、ユカさんは恩人と言っていい。

そのユカさんから、再度の依頼を頂けた。前回の私の仕事について、悪くない仕事だったと思ってもらえたのだろう。恩人に良い評価を頂けている。それだけでも、幸せなことだ。それに加えて、前回たくさん遊んだりゅうくんと、れんくんにも会える。そのことも嬉しい。

二つ返事で、ご依頼を受けることにした。

依頼の内容

今回の依頼内容は、「フリマアプリで二人乗りベビーカーを買ったのだけれど、電車で2時間ほどかかる場所なので、その道中、りゅうくんのお世話をして欲しい」というものだった。

りゅうくんとれんくん、二人を連れてベビーカーを受け取りに行くそうだ。本来であれば、お子さんを保育所などに一時的に預けて取りに行きたいだろう。今の日本の状況では、こういう細かい日常の行動の中で子どもを預けられないからこそ、親が消耗するのだな、と感じた。

ご自宅にて

ユカさんのご自宅へ伺う。りゅうくんは元気いっぱいで遊んでいた。私の顔は覚えていてくれたようだ。

[speech_bubble type="std" subtype="R1" icon="m.jpg" name="私"]覚えてる?新幹線炒めの時のおじさんだよ。[/speech_bubble]

りゅうくんは私の質問には答えず、気ままに遊び始めた。2歳の子だと、こちらの思う通りに会話が成り立たないのは普通のことだ。でもたぶん、ああ、あの時のあの人か、と思ってもらえたのだろう。

今日は外出するので、りゅうくんの着替えを手伝った。

[speech_bubble type="std" subtype="R1" icon="m.jpg" name="私"]靴下、自分でできる?おじさんがやっていい?[/speech_bubble]

りゅうくんは、自分でやりたそうなそぶりを少し見せたが、私に任せてくれた。2歳だと、なんでも自分でやりたい年頃だと思う。だけれど、それに深くこだわりすぎることなく、私を信頼してくれたようだ。

着替えが終わって、ご自宅を出た。

道中にて

ご自宅からはバスに乗る。バス停までの道のり、ユカさんはりゅうくんに、私と手をつなぐように促した。小さい子と手をつないで歩く。これも、幸福感を得られる場面だ。

バス停に着いて、しばらくバスを待つ。バスを待つ間、りゅうくんは通り過ぎるクルマのメーカーを次々に当てていった。あれはニッサン、あれはトヨタ、などなど。お父さんがクルマ好きな人なので、自然にメーカーを覚えたのだ、とユカさんは仰っていた。

クルマのメーカー当て自体にはそんなに意味はないことだけれど、こういう風に夢中になれる対象があるのは良いことだ。これは、りゅうくんの立派な趣味と言える。

趣味は人生を豊かにする。りゅうくんは幸せに生きているのだろうな、と感じられた。

りゅうくんがメーカー当てをしている間、ユカさんと少し話す。数日前、ベビーシッター会社大手のキッズラインがプレスリリースを出していた。対象の自治体に住んでいる人であれば、1時間250円でベビーシッターを利用できるようになったのだ。

ユカさんに聞いてみると、やはり、その動きは歓迎しているようだった。しかし、対象地域ではないから使えない、とのこと。

新しい仕組みが広まるには時間がかかる。きっとこの動きは広まるだろうが、その広がるスピードはどのくらいのものなのか、よくわからない。りゅうくんが大きくなるまでに、このユカさんの居住地まで広まってくれるだろうか。

バス、電車

バスに乗り、駅へ。駅から電車に乗る。

率直なところ私は、電車移動の付き添いという場面に、ベビーシッターのニーズがあるとは想像していなかった。

電車は閉鎖空間だから、一定の安全は確保されている。例えば、道路と違ってクルマに轢かれる心配はない。また、この日は平日昼間の移動だったから、電車の中は混んでいるわけでもない。親とすれば、お子さんのお世話をするには比較的良い環境であるように思う。

でもやはり、お辛いのだろう。乗り慣れない電車の行く先をスマホで確認しながら、赤ちゃんを抱っこし、2歳のお子さんの手を引いて歩くのは、心が休まらない。それが、現場に来て理解できた。

今日も、私の主な仕事は、上の子のりゅうくんのお世話だった。私はりゅうくんに集中すればよい。それに、ご依頼頂いた時間は区切られているから、私は、この業務が終わったら自分の時間が持てる。だから、落ち着いて対処できる。

しかし、小さい子の親は自分の時間を持つことができない。子を育てること自体は幸福なことだろう。しかし、自分の時間が消滅することは苦しい。その苦しさを私は実感できないが、特大の苦しみだろうということは想像がつく。少なくとも、私はそれを選択したいとは思わないだろう。

りゅうくんが飽きた素振りを見せると、ユカさんは、Amazonプライムビデオのディズニー映画を無音で再生し、りゅうくんに見せた。ああ、Amazonにはこんな使い方もあるのか。後で調べると、意外とたくさんのディズニー映画や動画などがあるようだった。これは便利な使い方だ。他の親御さんたちにもお伝えしたいと感じた。

乗り換え

電車の乗り換えは1回だった。私に土地勘のある駅だったので、改札へご案内した。そして、はたと気がついた。そういえば、私はこの駅の中のエレベーターのある場所を知らない。

りゅうくんと手をつないで乗り換え

ユカさんは、帰りはベビーカーをGETして戻ってくる。だから、エレベーターの場所は把握しておかなければならない。キョロキョロしながら歩いたが、どこにあるのかよくわからなかった。私の目が悪いのか、駅の表示が不足しているのか。

結局、エスカレーターでホームに移動した後、ホームにあった構内図で場所を確認した。帰りはここにエレベーターがありますよ、とお伝えした。

こういうことも、子育ての障壁になっているのだなと感じた。もちろん、エレベーターを設置してくれた鉄道会社は偉い。だが、子どもを連れた親がその場所を探す余裕は、あまりない。子どもは常に動いているからだ。実際、大人二人と子ども二人という構成の私たちでも、すぐには見つけることができなかった。もう一歩頑張って、案内板を充実させてくれたらありがたい。

ベビーカー受け取り

目的の駅に着いた。ユカさんとベビーカーの売り主さんは、駅前で待ち合わせているそうだ。駅を出るとクルマが止まっていた。あのクルマがたぶんそうだ。

私はどういう行動を取れば良いのかわからず、クルマと少し離れた場所でりゅうくんと待っていた。ユカさんの近くに居たら夫婦と間違われる。それはたぶん、ユカさんにとってはちょっとモヤモヤすることだろう。

それに、この人はシッターさんなんですよ、とユカさんが説明したら、おそらくこのベビーカーの売り主さんは、いぶかしがるだろう。中年男性のベビーシッターなんて存在するのか?と。

もちろん、だからといって何か大きな害があるわけでもないが、それらに対処するのは面倒なことだ。自分は普通ではないことをしているのだな、ということを再確認したような気持ちになった。

しかし、普通ではないからこそ、私はこの道を切り拓きたいのだ。こういう細かい経験も、これから男性ベビーシッターが増えていく過程で役に立つ時が来るはずだ。

お別れ

ベビーカーは折りたたみ式になっていたので、売り主さんはユカさんへ使い方を説明した。駅前で交通量の多い場所だったので、あまり長くクルマを置いておくことはできない。丁寧ではあるが急いで説明をしている様子だった。ユカさんからの代金を受け取ると、足早に去っていった。

ひとまず駅のコンコースに戻り、ベビーカーの折り畳みができることをもう一度確認する。ベビーカーは、二人の子どもが前後に乗れるようになっていた。これは便利だ。外出が捗る。

ユカさんは心底喜んでいるご様子だった。これまでは、ユカさんは、ゼロ歳のれんくんを抱っこしながらりゅうくんをベビーカーに乗せて外出していたわけだが、これからは二人を同時にベビーカーに乗せることができる。手が自由になるし、れんくんの体重を身体で支える必要もなくなる。だいぶラクになるだろう。

りゅうくんは、新しいベビーカーに、あまり強い興味を持っていないようだった。こういう場面ではしゃいでくれたら大人としては嬉しいけれど、子どもは大人の思う通りには行動してくれないものだ。

前回も感じたが、りゅうくんは気持ちが落ち着いている子だと思う。抑圧されているような様子もない。私がりゅうくんと過ごした時間は短いが、たぶんりゅうくんは良い環境で育っているのだろうな、と感じられた。

ベビーカーを組み立て、二人を乗せ、改札を入る。ホームへ下りるエレベーターの前で報酬を受け取り、お別れした。

毎回、お別れの時は、寂しい、と感じる。もっと一緒に遊びたい、と思う。しかし、私がそう思うのは、オイシイところだけを持っていっているからだ。

24時間365日、ずっとそばにいて自分の時間が消滅したら、私は疲弊して、声を荒げるだろう。実際、私自身の子育てでは、自分の子どもに対して怒鳴る場面は何度もあった。

私がオイシイと思うところだけを持っていくからこそ、私はこれを続けられる。そして親御さんは、束の間ではあるが休息できる。これは、美しく利害が一致した姿だと思う。こういうマッチングを増やしていけば、社会全体の幸福量は増えるだろう。

今回も楽しく過ごさせて頂きました。ありがとうございました!

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