ベビーシッター初仕事

※この文章の中に出てくる名前は、私の名前以外は全て仮名です。

本日は、りゅうくんのお世話をさせて頂きました。

バス停にて

指定されたバス停でお待ちしていると、ご依頼者さんであるユカさんがお子さんおふたりを連れて迎えに来てくれた。

ユカさん
えーと・・・、おっさんレンタルの方ですか?
はい、そうです!土橋です!よろしくお願いします!

私は、おそらくプロのベビーシッターさんとはほど遠い、ゆるい挨拶をした。

偉そうに「ベビーシッターやります!」と言ったはいいが、依頼者さんと初めてお会いした時の挨拶をどのように行うべきなのか、私は正解をよく知らない。

たぶん、きちんと保育の教育を受けている人なら、立ち振る舞い方を学んでいるのだと思う。

2年ほど前、私はベビーシッター派遣会社に登録しようとしたことがある。しかし、従わなければならないさまざまなルールがあり、登録するという決断をできなかった。

そのルールの中に、「依頼主さんに初めてお会いした時の挨拶の仕方」もあった。その時の私は、その挨拶のルールを「面倒なルール」だと思った。しかし、こうして現場に立つと、従うべきルールが欲しいと感じた。派遣会社のルールをしっかり覚えておけばよかった、と、少し後悔した。

ご自宅までの道のり

お子さんは、上のお子さんは「りゅうくん」、2歳半。下のお子さんは「れんくん」、2ヶ月。どちらも男の子だ。

りゅうくんはベビーカーに乗っていた。れんくんはユカさんにだっこされていた。ユカさんと、どうということもない話をしながら歩く。歩いている間、りゅうくんはベビーカーに乗ったまま、興味深そうにじっと私を見ていた。コイツは誰なんだ?と思ったのだろう。その反応は当然だ。見ず知らずのおっさんなのだから。

りゅうくんは2歳半ということで、ベビーカーに乗るときもあれば、自分で歩きたいと主張するときもあるそうだ。このくらいの年齢だとそんな感じなのだな。そういう「この年齢・月齢だったらだいたいこんな感じ」ということも、私はよく理解していなかった。プロのシッターさんは、そういうこともきちんと知っているのだと思う。

ご自宅まで歩いて5分くらいだっただろうか。ユカさんと私が話をしている様子を見て、りゅうくんは少しづつ安心したようだ。だんだんと、私を見る顔が笑顔になっていくのを感じた。

途中に短い階段があったので、ユカさんはりゅうくんをベビーカーから降ろした。りゅうくんは、降りた途端、元気に階段を駆け上がった。小さい子というのは、こうやって身体の動かし方を覚えて、大きくなっていくのだな。りゅうくんのひとつひとつの動きが、全て尊く見えた。

自分の子を育てていた時も、私はこういう場面を見ていたはずだ。しかし、当時の私は余裕がなく、いつもイライラしていた。余裕を持った気持ちで自分の子を見る場面は、ほとんどなかったと思う。

逃げ場がない、という感覚。私が勤めていた会社はブラック企業であったから、帰ったら何もせずに眠りたかった。しかし、義務感で仕方なく、自分の子に接した。

妻は妻で、昼間のワンオペ育児に疲弊していた。私も妻も疲れていた。だから、子育てを十分に楽しめなかった。そういう後悔も、私が「ベビーシッターをやりたい」と思い立った一因になっている。

ご自宅にて

ご自宅に入ると、りゅうくんは上着を脱いぎ、廊下に置いた。

あれ?りゅうくん、脱いだ服ここに置くの?

私はなんでもいいからりゅうくんと会話を始めたくて、こう声をかけた。これを言ってから、しまった、と思った。叱るニュアンスが入ってしまっている発言だなと感じたからだ。

しかし、すぐユカさんがフォローしてくれた。

ユカさん
あ、いいんです~!いつもそこに置きたいみたいなので。

機転の効くユカさんで良かった。りゅうくんは何も言わず、すぐにリビングの部屋に駆け込んでいった。

今回の依頼は、ユカさんが自宅内で家事をしている間、私がりゅうくんのお相手をするというものだった。りゅうくんはすぐにリビングにあるおもちゃで遊びだしたので、私はりゅうくんを質問攻めにした。

それはなあに?

りゅうくんは、プラレールの新幹線を持って遊んでいた。もちろん新幹線だというのはわかっているのだけれど、会話のいとぐちは質問が一番だろう。

りゅうくん
しんかんせん!

りゅうくんはそう答えたあと、新幹線をぐるぐると走らせた。それからしばらく、ミニカーや機関車トーマスのおもちゃなどで遊んだ。

りゅうくん

しばらくして、りゅうくんは同じリビングの中に置いてあったおもちゃのキッチンで遊びだした。

なにか作ってくれるの?
りゅうくん
きょうは、なににしましょう?

この「きょうは、なににしましょう?」は、りゅうくんのお気に入りのフレーズらしく、何度も繰り返し話していた。その姿が可愛らしくて、私もだんだんとノリノリになっていった。

なにがいいかなあ・・・
りゅうくん
なべ!

りゅうくんは、なべ、と言った。だが、その手にはおもちゃのフライパンと、プラレールの新幹線が乗っている。

りゅうくん
じゅ~、じゅ~

新幹線を炒めているらしい。これがたまらなく可愛くておかしくて、笑ってしまった。

りゅうくん
はい!

できあがったようだ。

いただきまーす!もぐもぐもぐ。はい、なくなりました!

なくなりました、と言って、手で新幹線を隠す。するとりゅうくんは笑いながら、私の手をどかそうとする。

もう、なくなりましたよー!

りゅうくんは、全力で私の手をこじ開けようとする。その姿が、また可愛い。

りゅうくん
ある!
はい、出てきました。もういっかいつくってくれますか?

りゅうくんは新幹線をフライパンに載せ、もう一度炒めだした。そしてまた私が食べて隠し、りゅうくんに手をこじ開けてもらって、もう一度炒めてもらう。これを5回か6回くらい繰り返した。

小さい子は、なにか楽しいと思ったことは、何度でも繰り返しやりたいのだと思う。

私は、りゅうくんのお相手をするために雇ってもらってここに来たから、何回でもこれに付き合うことができる。しかし、親が子と遊ぶ場合は、わけが違う。親は、子から逃げられない。毎日逃げ場なくこの遊びに付き合えるかというと、物理的にムリだ。無限に時間が消費されてしまう。

私がりゅうくんのお相手をしている間、ユカさんは、夕食を作ったり、何かの書類の書き物をしたり、れんくんのお世話をしたりしていた。私がりゅうくんのお相手をしていても、かなり忙しそうだった。もし私が居なくてユカさんひとりだったら、心穏やかに過ごすのは、かなり難しいだろう。

料理をするのを諦めるとか、書類を出すのを諦めるとか、そういう選択をせざるを得ない状況に追い込まれる。なにしろ、逃げられないのだから。

本来、子育てというのは楽しいはずのものだ。でも、逃げられないから辛くなる。辛さを感じ始めるラインは人それぞれだけれど、たぶん、未就学児二人のお世話をひとりで同時に長時間するというのは、多くの人が辛いと感じるだろう。

新幹線炒めが終わったあと、りゅうくんが言った。

りゅうくん
だっこ

だっこ?だっこさせてくれるの??

だっこする?
りゅうくん
だっこ!

りゅうくんを持ち上げて、だっこした。こんな小さい子をだっこするなんて、久しぶりだ。たまに友人の子を預かったりすることはあるけれど、2歳の子をだっこするのは何年ぶりだろうか。だっこして、背中をぽんぽんと叩く。

私は幸福感に満たされた。やはり、小さい子は問答無用で可愛い。

「おっさんがベビーシッターをする」というコンセプトは間違っていない、と、この時、強く感じた。

ユカさんは、私を雇わなければ、二人のお世話をしながら料理をして、書類を書いて、その他にもさまざまな家事をしなければならなかった。そして、たぶんそれをするには、りゅうくんの行動を何らかの形で制限する必要がある。例えば、叱りつける、とかだ。

だって、そうしないとムリなのだ。抱っこをしながら料理はできない。抱っこをしながら書類を書くのもムリだろう。

しかし、私がりゅうくんのお相手をしたことで、ユカさんは、ある程度落ち着いて家事に集中することができたはずだ。私は幸福感に満たされたし、たぶん、りゅうくんも楽しんでくれたと思う。

私も、りゅうくんも、ユカさんも、ハッピーに過ごすことができた。私がほんの少しの時間を切り出し、ユカさんに雇ってもらうことで、この3者の幸福度は上がったと思う。これは、たぶん良いことだ。

いまの社会情勢

昨今、労働基準監督署のチカラが強くなり、主に大企業は、行政から残業時間を厳しく監視されるようになった。私もどちらかというと大企業と呼ばれる企業で働いていたから、その動きはよく知っている。

加えて、副業解禁の動きもある。勤務時間が減り、副業が解禁されれば、サラリーマンのおっさんたちはベビーシッターをすることが可能になるはずだ。

もちろん、おっさん全員がベビーシッターをするべきだ、なんてことは思っていない。でも、子どもが好きなおっさんは一定数いるはずだ。私の感覚としては、自分の子どもが既に大きくなったおっさんたちの1~2割くらいは、「小さい子と何らかの形で関わりたい」と感じていると思う。

そういう人たちは、ベビーシッターという形で小さい子と関わっていけば良い。そうすれば、おっさんも、子どもも、子どもの親も、みんなハッピーだ。

私はその道を切り拓きたい。

これまでは実績が全くなかったから、それを大きな声で言うことにためらいがあった。しかし、今回、本当に本当に小さいけれど、実績ができた。私は、これをやっていく。これをやり続ければ、きっと、たくさんの人の幸福度が上がる。

お別れ

18時頃にユカさんの料理が終わった。夕食の時間だ。私はりゅうくんの食事の介助をする予定だったが、うまくやることができなかった。なので、ユカさんと役割を変え、りゅうくんの食事はユカさんに見てもらった。私は、れんくんにミルクをあげた。

ミルクを飲む赤ちゃん。本当に可愛い。

ミルクをあげるのも、親が逃げ場なく毎日やり続けると、親は苦しむ。でも今回の私のように、時間を切り分け、終りがある形で関わるのなら、この可愛さをそのまま感じることができる。親も、ほんの少しの時間だけれど、休むことができたり、多少の心のゆとりができたりする。それぞれの幸福度が上がっているのは明らかだ、と感じた。

食事が終わると、約束の18時半になった。ここでお別れだ。

ユカさん
そろそろ、お時間ですかね?
そうですね、そろそろですね。

名残惜しいけど、今日のところはこれでひとまずお別れだ。

ユカさん
じゃあ、バイバイしようね。

りゅうくんは、何も言わなかった。ユカさんはシッターさんを何回か雇ったことがあるそうだ。りゅうくんも、バイバイすることに慣れているのだろう。

ご自宅から大通りに出るところまで送って頂いた。とても礼儀正しい方だ。初仕事がこの方で良かった、と感じた。

りゅうくん、また会えるかな?

りゅうくんは笑顔で黙っている。

また呼んでくれたら嬉しいな。
それでは、こちらで。今日は本当にありがとうございました。
ユカさん
いえ、こちらこそ。ありがとうございました!

私の今日のシッティングが及第点なのかどうか、私にはよくわからない。ただ、ひとまずりゅうくんの安全を確保し、りゅうくんの注目を引きつけ、ユカさんの負担を軽減することはできたと思う。プロの保育士さんから見たらどう映るかわからないが、ともかく役に立つことはできたはずだ。そして、私は間違いなくハッピーだった。

この先どうなるかわからないけれど、私はベビーシッターを続けてみる。

追記

ユカさんがtwitterで感想をつぶやいてくれました。優しいお言葉ありがとうございます!

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