「哺乳瓶を洗ってほしい」の現場 新生児双子ちゃんのお預かり
以前いつもお預かりしていた、のぶひろくんの妹おふたりをお預かりしました。
のぶひろくんとアイさんのことは、これまでに何度か書いた。アイさんがワンオペ育児に陥っていたこと、アイさんからお手紙をもらったこと、のぶひろくんがわたしを信頼してくれているらしいこと。
このあと、2020年にはコロナが蔓延し、ベビーシッター業界は冷え切った。私も、のぶひろくんをお預かりせずに時間が過ぎていた。
年が明けて今年の1月、久しぶりにアイさんからご連絡を頂いた。アイさんは昨年の年末、のぶひろくんの妹となる双子ちゃんを出産した。これまでは、のぶひろくんひとりをお世話すればよかったのだけれど、お世話しなきゃならない子が、1人から一気に3人に増えたことになる。
子が増えることは幸せなことだ。しかしその一方で、当然ながら、子育ての現場としては作業量が増える。親が自分の時間を持つことは、ほとんど不可能になる。
子は持つべき?
そもそも、子を育てることに幸せを感じる人もいれば、そうではない人もいる。また、本来は幸せなモノゴトであったとしても、そのモノゴトから逃げられなくなれば、幸せを感じられなくなるという場合もある。
現代は、子を持たない、と決意して生きている人が多くなっているように思う。子育ては苦しそうだ、と感じている人は少なくないだろう。また、子どもはかわいいけれども、その他にもっとやりたいことがある、という人もいるだろう。
私は、子を持つべきかどうか悩んでいるという人から相談を受けることがたまにある。相談主は若い女性が多い。
子を持つべきか、という論点には、その人自身の恋愛や、女性同士のライバル心も絡んでくる。その点で、中年男性のベビーシッター、という肩書きの私は相談しやすい相手なのだと思う。子育てを経験しており、なおかつ恋愛対象にならず、女性間のマウンティングにも関係しない存在だからだ。
子を持つべきか、という相談には、当然ながら明快な正解はない。だから、私は答えを出すことはできない。
ただ、それらの相談主の方に必ず聞くことにしている質問がある。
「赤ちゃんを抱っこしたことありますか?」
という質問だ。
経験すれば考えが進むはず
誰しも、見えないものは怖い。子育てもそうだ。子育てを経験しておらず、見たこともない人であれば、それを自分にできるのか、と不安を感じるのは当然だ。
子育てを知った上で子を持たないと決意したなら、おそらく、その決意はその人にとって良い決意だ。しかし、子育てを知らないまま、子を持たない、と決意したなら、ちょっともったいない。
私も、若い頃は小さい子をあまり好きではなかった。しかし、私が大学生のときに姉が子を産んでから変わった。その子を抱っこしたとたんに、気持ちがコロッと変わったのだ。赤ちゃんってこんなに可愛いものだったのか、と。
それから、なんとなく子育てというものに興味を持ち、自分でも気づかないうちに情報収集していたのだと思う。姉の子ともたくさん遊んだ。私が子ども好きになったのは、姉の子からの影響が、おそらく大きい。
その結果、私は結婚し、自分の子を持ち、育てた。姉が子を産んでいなかったら、私の価値観はかなり違ったものになっていただろう。
子を持つことが正解かどうかは、人それぞれに違う。ただ、最初からその可能性を切り捨ててしまうのはもったいない、というのが私の考えだ。
子を持つか迷っている人は、まずは友人のツテなどを伝って、赤ちゃんを抱っこさせてもらうとよい。それでピンとこなかったら、子を持たない、という決意について、迷いは少し消えるだろう。それが、私の小さな提案だ。
ただ、そもそも友人の中にも子を産んでいる人がいない、という人も多いだろう。そういう人は、それが運命なのだ、という考え方で、子を持たない決意を補強しても良いと思う。どうせ、人生というものは運に大きく左右されるのだ。
もし、それでも子育てを少し経験してみたい、と思う人がいたら、ぜひ自分自身がベビーシッターになってみて欲しい。
若い人がベビーシッターをすれば、自分自身の子育ての適性を少しは見極めることができる。そうすれば、子を持つか否かについて納得感のある選択をできるようになるのではないか、と、私は考えている。
双子ちゃん
さて、なにはともあれ、双子ちゃんである。私はふたりの赤ちゃんを同時にお預かりしたことはない。
アイさんは私のスキルレベルを知っているから、いい塩梅の依頼をくれた。アイさんが同席のもと、アイさんのお手伝いをする形でシッティングする、という依頼だ。
双子ちゃんの名前は、アヤメちゃんとサクラちゃん(どちらも仮名)。女の子だ。
アイさんのご自宅に着き、双子ちゃんと対面する。既に先月のご依頼でも会っていたのだけれど、のぶひろくんのシッティングがメイン業務だったので、ほとんど顔を見ることができていなかった。
生後2ヶ月の赤ちゃんだ。見た瞬間に心が溶けてしまう。ふたりのお世話をすることになるから、このあと、私は大忙しになることはよく理解している。それでも、この可愛さには一瞬で敗北する。
布おむつ
アイさんは、双子ちゃんに布おむつを使っていた。
布おむつ。私は触ったことがない。初の経験だ。お預かりするのであれば、しっかりと使い方を理解しなければならない。それをアイさんに伝えると、丁寧に教えてくれた。
やってみると簡単なものだった。やはりなにごとも、知らないと過大に怖く感じてしまう。知ってしまえばたいしたことはないのに。
この歳になっても知らないことだらけだ。おそらく死ぬまで、無知による過大な恐怖からは逃れられないのだろう。
「哺乳瓶が洗えない」
この日のご依頼を頂いたとき、アイさんは「哺乳瓶を洗ってほしいんです」「哺乳瓶が洗えないんです」と仰っていた。
哺乳瓶を洗ってほしい。確かにそれは、親御さんからすれば、やってくれたら助かることだろう。しかし、かなり強い違和感を感じた。
他でもないアイさんからのご依頼だ。もちろんお受けする。たぶん今の私が理解していない困難があるのだろう、と考えた。
やはり、私は無知だった。たしかにこれは洗えない。
双子ちゃんは、ひっきりなしに泣く。だから、抱っこしてあやす必要がある。おむつ替えも頻繁にしなければならない。アイさんは双子ちゃんのお世話、私は哺乳瓶洗い、という分担で作業した。
私が哺乳瓶を洗っている間、アイさんはずっと、双子ちゃんのお世話をしていた。40分間ほどだったと思う。
この40分の間、アイさんは休む暇がなかった。双子ちゃんは、ひっきりなしに泣いた。そのたびにアイさんはオムツを確認し、必要があればミルクを飲ませ、ゲップ出しのために抱っこをした。
私は哺乳瓶を洗った。キッチンの流しにズラッと並んだ哺乳瓶は10本ほど。どれも空っぽだが、中にミルクが少し残っていた。アイさんと旦那さんは、フタを外して軽くすすぐ、という作業もできないほど、子育てに追い立てられているのだろう。
哺乳瓶洗いという作業は意外と時間がかかる。哺乳瓶は4つのパーツからできている。ビンの部分と、フタのネジの部分と、乳首の部分と、その上を多い被す外蓋だ。10本の哺乳瓶に対して、それらをひとつひとつ分解して洗った。
難しい作業ではない。しかし、4つのパーツからできているということは、10本の哺乳瓶があれば40個のパーツがあるということだ。それを分解するために、少しづつではあるが着実に時間を削り取られた。
パーツの隙間も洗った。特に、ネジになっている部分は念入りに洗う。その作業にも時間が消費された。
洗い終わったら、消毒だ。哺乳瓶は、単に洗うだけではなく消毒する必要もある。アイさんのお宅では、哺乳瓶の消毒には、電子レンジで加熱消毒する消毒機を使っていた。
私が自分の子を育てたときには、消毒液を使った消毒をしていた記憶がある。まだ電子レンジでの消毒は普及していなかったと思う。この電子レンジでの消毒は便利だ。しかし、それでも大変だ。10本を洗うために40分かかるのだから。
双子ちゃんのお世話をしながら哺乳瓶を洗う。絶対に無理だ。哺乳瓶を洗ってほしい、とはこういうことなのか、と深く納得した。
子育て中の親が、なにかの細かなことについて「助けてほしい」と言うのをたまに目にする。「なんでそんな簡単なことを頼むのだ」と、いぶかしく感じる人もいるだろう。
子育ての現場を知らない人からすれば、その疑問は当然だ。子育てを経験していた私ですら、哺乳瓶を洗ってほしい、と言うアイさんの苦境は、経験しないと深い理解ができなかった。
双子ちゃんのお世話
哺乳瓶洗いを終えた後は、ひといきつくことができた。アイさんに私も加わって、アヤメちゃんとサクラちゃんのお世話をした。
ひとりでふたりのお世話、ではなく、ふたりでふたりのお世話、となったので、アイさんの負担は少し軽くなったようだった。
マニキュア
新生児だし双子ちゃんなので、どちらがどちらなのかわからない。アイさんは、アヤメちゃんとサクラちゃんの足の親指の爪に、判別用のマニキュアを塗っていた。アヤメちゃんにはラメの入った黄色のマニキュア。サクラちゃんにはピンクのマニキュアだ。
これにはとても助かった。少なくとも私はどちらがどちらかわからないし、たぶん他のシッターさんもそうだろう。アイさんだって、はっきりと判別できないこともあるかもしれない。
産まれたばかりの子は毎日顔が変わる、というようなことを言う人もいる。それは正しい。
体重3kgくらいで産まれた子が、半年後には8kgくらいまで大きくなるのだ。半年で2.5倍以上になるということだ。毎日顔が変わる、という表現は概ね正しい。だから、双子の赤ちゃんには顔以外の判別方法が必要だ。だからこのマニキュアはとても助かった。
赤ちゃんが泣いたとき、まず気にするのはオムツ。その次にミルクだ。オムツは濡れていたら変えればよい。けれどミルクは、それぞれの子がいつ飲んだのかを判別できなければならない。ミルクを飲んだばかりの赤ちゃんに再度ミルクを飲ませようとしたら、赤ちゃんにとっても良くないし、こちらの労力も無駄になる。
双子ちゃんのどちらかが泣いてオムツが濡れていなかったら、足の爪を見てマニキュアを確認する。まだミルクを飲んでいなければミルクを作る。飲んでいて、オムツも濡れていなくて泣いていたら、たぶんゲップ出しが足りていない。その時は縦に抱いて背中をトントンと叩き、ゲップが出るように促す。
のぶひろくんと双子ちゃん
しばらくすると、のぶひろくんと旦那さんが戻ってきた。のぶひろくんは、アヤメちゃんとサクラちゃんのことが好きなようだ。のぶひろくんなりに、アヤメちゃんとサクラちゃんにちょっかいを出した。
バウンサーを揺らしたり。
ミルクをあげるのを手伝ったり。この時は、のぶひろくんがサメのおもちゃを持ってきて哺乳瓶に当てがった。奇跡的にピッタリとフィットしたのを見て、アイさんと旦那さんと私は笑い合った。
お別れ
帰る時間になった。アイさんが玄関までお見送りしてくれた。
アイさんと旦那さんは、夫婦仲が良いとは言えない。内容は伏せるが、さまざまなことをアイさんからお聞きしている。
「まだ終わってない」
アイさんは旦那さんを憎んでいる。「旦那には、まだ終わってねえぞ、って思ってます。」と言った。
アイさんは地方の生まれだ。この意味の言葉を、お産まれになった地方の方言まじりで仰った。強い気持ちを表現するときは、地元の言葉が出るらしい。
そのような気持ちでありつつも、子育てという共同作業を軸に、このご夫婦は繋がっている。
夫婦関係にも、正解はない。この問題の正解も、やはり、私には見当がつかない。私なりの意見はあるけれど、その意見が正解だ、という確信など、到底持つことができない。私の意見としては、と前置きして、いくつかのことを話した。
福祉のおっさん
アイさんは、福祉のおっさんにもシッティングを依頼したことを私に教えてくれた。それを聞いた私は安堵した。
福祉のおっさんは、私と同じおっさんレンタルのメンバーだ。まだのぶひろくんがゼロ歳児だった頃、同じ時期にのぶひろくんを預かったことがある。
いわば、同じ子をお預かりした「同志」だ。不思議な連帯感を感じている。
わけのわからない第三者のおっさんが他人の赤ちゃんを預かる、というのは、奇異に見えるかもしれない。しかし、これでみんな幸せになったり、不幸を軽減したりできている。
私も福祉のおっさんも、子どもが好きだ。だから、赤ちゃんをお預かりするご依頼は楽しく、幸せなお仕事だ。
そして、私たちがお預かりしている間、アイさんは、多少は休むことができる。子育ての過負荷、という不幸を軽減できているということだ。
余裕があれば楽しい子育ても、逃げ場のない状態ならば不幸だ。その不幸を軽減し、楽しいはずの子育てに近づけたい、という想いを、私は持っている。福祉のおっさんも、おそらく同じような考えを持っているだろうと思う。
私と福祉のおっさんは、同時にレンタルされることはないから、お互いに会うことはほとんどない。しかし、同じ志を持っているように思う。まさに「同志」と言えるだろう、と私は思っている。
依頼者様から必要とされ、レンタルされることも嬉しい。そして、私にとっての福祉のおっさんのような、自分と近い価値観や問題認識を持っているであろう人を認識できることも、また別の観点から嬉しいことだ。
私も福祉のおっさんも、社会の中では蟻のように小さい存在だ。けれども、同じ方向に進んでいる人がいるという事実は、私を勇気づけてくれる。
今回も楽しくご依頼をお受けしました。ありがとうございました!