鼻水の信頼
のぶひろくんは、私に鼻水の信頼を置いてくれている。
今年の1月から、私はベビーシッターとして、のぶひろくんを不定期で預かった。依頼者様から個別に依頼を頂き、そのたびに伺うという形だ。
この文章では、依頼者様をアイさんとお呼びする。
頻度としては、平均したら月に1回くらいだっただろうか。
最初にのぶひろくんに会った時、アイさんは憔悴し、疲弊し、追い込まれていた。危険な状態であるように見えた。
私は、アイさんを助けたかったし、ベビーシッターとしての実績も積みたかった。私がアイさんからの依頼をお受けすることは、 アイさんと私にとってWIN-WINと言えるだろう。アイさんは、束の間ではあるが休息できる。私は、ベビーシッターをした実績を積み、世に示すことができる。
最初に会ったときののぶひろくん
今年の1月、最初に会ったときののぶひろくんは、まだとても小さかった。1歳にも満たない。月齢は10ヶ月くらいだったと記憶している。
当時ののぶひろくんは、まだハイハイしかできなかった。手に触れたものを、かたっぱしから口に入れて噛んでいた。この月齢の子だと、よくあることだ。私は、自分の子もこうだったな、と懐かしく思い出しながら、のぶひろくんのお世話をした。
のぶひろくんの成長
それから1年弱が経ち、のぶひろくんはすっかり成長した。
1年が経ったから、のぶひろくんは1歳10ヶ月ほどになったということになる。
のぶひろくんができるようになったことを箇条書きにしてみよう。
- 歩けるようになった
- 走れるようになった
- 1~2語の言葉を話せるようになった
- アンパンマンを指差して「ぱんまん!」と言う
- 電車を指差して「でんしゃ!」と言う
などなど
- 抱っこしてくれ、とせがめるようになった
- 私を覚えてくれた(らしい)
これらは、私が見ている範囲内のことでしかない。私がのぶひろくんと過ごした時間は、1年間を通して考えればとても短い。一ヶ月に一回程度のお預かりで、なおかつ一回あたりのお預かり時間はだいたい3時間。だから、36時間程度しか、のぶひろくんと私は一緒に過ごしていない。
計算すると、私とのぶひろくんが一緒に時間をすごしたのは、1年間全体の0.4%程度に過ぎない。
しかし、私の思い込みかもしれないが、おそらくのぶひろくんは、私に一定の信頼を置いてくれている。
鼻水の信頼
この12月は、のぶひろくんをアイさんのご自宅でお預かりした。
のぶひろくんは、自分で鼻水を出すことを覚えていた。鼻に鼻水がたまると、ふん、ふん、と、いきんで、鼻水を出す。アイさんが、 最近覚えたんです、と説明してくれた。
のぶひろくんは、アイさんが大好きだ。アイさんが外出することを察知すると、途端に大泣きする。アイさんが出ていったあと、私はのぶひろくんを、しばらくあやす。
泣き疲れて落ち着いたころ、のぶひろくんは、自分の意志で鼻水を出し始めた。ふん、ふん、といきんで鼻水を出した。
この鼻水には、のぶひろくんの、私への信頼のかけらが含まれている。
のぶひろくんは、私を十分には信頼していない。しかし、全く信頼していないわけではない。
アイさんが外出するとき、のぶひろくんは大泣きする。つまり、のぶひろくんは私をアイさんと同等には信頼していない。もちろんそれは当然のことだ。
けれど、時間が経ってあきらめがつくと、私に抱っこをせがむ。抱っこをされたらその次は、ふん、ふん、と鼻水を出す。
のぶひろくんは、おそらく私に、「お前はこの鼻水を拭いてくれるのだろう」という期待を持って、この鼻水を出している。
期待をするということは、私に一定の信頼を置いているということだ。これは、鼻水の信頼だ。
鼻水だけではない。のぶひろくんは、私に向かって両手を広げ、抱っこしてくれ、という意思表示をする。これにも、「お前は私を抱っこしてくれるのだろう」という期待と信頼を込めてくれているはずだ。
鼻水を拭いたら
私は、信頼されている、と感じ、嬉しさを持ちながら、のぶひろくんの鼻水をウェットシートで拭く。
しかし、所詮は鼻水の信頼だ。のぶひろくんの要望に応えて抱っこをし、鼻水を拭いたら、その次にのぶひろくんは玄関を指差す。アイさんが外にいるはずだから連れて行け、ということだ。のぶひろくんは、とにかくアイさんが好きなのだ。
けれども、アイさんにはアイさんの用事がある。アイさんの時間の100%全てをのぶひろくんに捧げたら、アイさんは生きていけない。休息も必要だし、娯楽も必要だ。子育ては大事だから、と考えて、休息も娯楽もなく人生の全てを捧げたら、それは奴隷労働とも言えるだろう。
この日は、2時間のシッティングだった。 のぶひろくんは、時間が経つと私に慣れてくれる。最初の1時間は断続的に泣き続けた。後半の1時間は私と遊んでくれた。
泣く時間と、楽しく遊ぶ時間の比率が逆転し、ニコニコしてくれる時間が増えてきた頃に、アイさんが帰ってきた。アイさんにのぶひろくんを引き渡し、私は帰った。
心の支えとなったのぶひろくん
2019年は、私にとって、サラリーマンを辞めて独立した1年目の年だった。主業は、うまくいったとは言えない。たくさん苦しんだ。その苦しみの中で、のぶひろくんとアイさんは、私に気力をくれた。
アイさんは懸命に子育てしている。のぶひろくんも目一杯生きている。その様子を拝見して、私は勇気付けられた。
私はしばらく、苦しい時間が続くだろう。でも、のぶひろくんが私に心の休息をくれる。のぶひろくんのおかげで、私は、まだまだ頑張れる。
三者三様に、方向は違えども、人生を生き抜いているという感覚を持つ。これからも、このお二人と人生を少しだけ絡ませながら生きていけたら嬉しい。