佐々木さん 確定申告のご相談など
※このページに出てくる人名は、私の名前以外全て仮名です。
今回の依頼は、とてもイレギュラーな依頼だ。今回の依頼主である佐々木さんは、私の教え子である。
私は、とある地方都市でWeb制作の職業訓練講師をしている。彼女は今年の7月まで、私が講師をしている講座で学んでいた。
その彼女から、冒頭のメッセージが来た。
その職業訓練のクラスは、私にとってとても楽しく貴重な経験だった。私は、普通の人と比べればWeb系の技術をそこそこ持っている。しかし、大々的に人に教えるということはあまり経験がない。この講座の講師を務めることは、私にとって挑戦だった。
私が担当したクラスの受講生さんたちは、みんな仲が良く、向上心もある素晴らしい人たちだった。
職業訓練の講座は、場合によっては受講生さんにヤル気がなく、暗い雰囲気で進んでいくこともあると聞く。私が講師をした職業訓練校はそうではなかった。みんな勉強熱心であり、本気で学んでいた。できることが増えたら喜び、また、学んだはずのことが身についていないと感じると、涙を流してまで悔しがる人もいた。
おそらく職業訓練のクラスとしては、あまりないことだろう。このクラスを担当できた私は幸運だった。
向いている仕事の見分け方
佐々木さんは、この講座の受講生の中では、あまりできるほうではなかった。講座内で行ったテストの点は、クラスの平均よりも下だった。
彼女は三十歳くらいだと聞いた。彼女は、社会に出てからずっと飲食業で働いていたそうだ。仕事でパソコンを使ったことはないし、自分のパソコンも持っていない。そういう人がいきなりWeb制作の講座に来たのだ。苦しむのも当然だ。
彼女は、自分のスキルを冷静に客観視できる。私はこれに向いていないかもしれないです、でもできるようになりたいです、だから自分なりに頑張ります、という意味のことをよく言っていた。そして、私の目で見た限り、彼女は彼女のやり方で目一杯、試行錯誤して学んでいた。
仮に自分に向いていない仕事であったとしても、それが本当に自分に向いていないのかどうかは、実際に手をつけてみないとわからない。
彼女はもともと飲食業で働いていて、退職後にこの講座を受けた。彼女はこの講座を通して、現時点ではWeb制作を自分の仕事にするのは難しい、と悟ったらしく、卒業後、また飲食業の会社へ就職した。
その飲食業の会社はウェブサイトを持っていて、彼女はそのサイトの更新をたまに行っているそうだ。彼女にとって、Web制作の技術は主業にはならなかったけれど、今の職場で働く上で役には立っているようだ。
職業訓練が、彼女のサブスキルのひとつを作ったということだ。主業にはならなかったとしても、彼女のスキルアップには役に立った。講師としては誇らしく感じる。
佐々木さんの印象
佐々木さんはとても幼く見える女性だ。前述の通り、年齢は三十歳ぐらいだと聞いている。しかし、もっと若いように感じる。
彼女は人懐っこく、壁を作らず、たくさん喋る。だからなのか、飲食業時代に、彼女のファンらしきお客さんはたくさんいたそうだ。
率直に言うと、彼女は第一印象としては頭が良さそうには見えない。しかし実際には、彼女は論理的思考力が高い。思考のベースとなるIT系の知識量は少ないけれども、考えることはできる人だ。
彼女は講義の中でたくさん質問を投げてくれた。そもそもサーバとはどういうものでそれはどこにあるのか、JavaScriptとPHPの違い、twitterとの連携、などなど。それらの質問は、講座の中でとても役に立った。
受講者さんは、講座の内容に疑問が発生しても、質問してくれるとは限らない。彼女の心の内はわからないけれど、彼女は疑問を持ったことを全て質問してくれているように見えた。それは講座の充実としてとてもありがたいことだった。だから、私は彼女に感謝している。
相談
職業訓練の教室のある最寄り駅の改札で待ち合わせる。ご無沙汰してます、と挨拶をした。
軽くお酒でも飲みながら、と思ったのだけれど、まだどの飲み屋さんも営業していなかった。時刻は17時。地方都市であるためか、飲み屋さんの営業開始が遅いようだ。
とりあえずお酒を入れずに相談の部分を片付けましょうか、と提案し、駅近くのマクドナルドへ入った。
今回の相談内容は、佐々木さんの確定申告だ。普通の人は誰でもそうであるように、彼女も確定申告について何も知らない。彼女は、今年の年初まで企業で勤めており、そこを辞めて職業訓練を受け、卒業後に就職した。今年は2つの会社から給与所得があり、なおかつ空白期間がある。この場合、税金で損をしないためには確定申告が必要だ。
私は副業サラリーマンの期間が長かったので、確定申告は何度も経験している。また、サラリーマンとしての本業は会計系プログラマーだった。税理士ではないのでプロではないけれど、アドバイスはこれまでたくさんの人にしてきた経験がある。
曖昧な労働契約
話を聞くと、佐々木さんの労働契約は極めて曖昧だった。小規模事業者ではよくある話だ。服務規程や労働契約書等が一切ないらしい。また、サービス残業も多いようだった。
一方で、彼女は商品開発を任されていたり、部分的にではあるが店長の役割も担っているようだ。夢を追うという意味では、楽しい部分もあるのだろう。
今の彼女の状況は、労働環境としては悪いと言っていいと思う。しかし、将来自分の店を持ちたいという夢があるのなら、実態としては、ある程度、理不尽なことを甘受しないといけない部分もあるのかもしれない。
私は、飲食業の世界を全く知らない。もちろん、法律論で「それは違法な働かされ方だからオーナーを訴えるべきだ」と、ぶった切ることはできる。しかし労働の現場の実態は複雑だ。どこまでの条件を許容するのかは、究極的にはそれぞれの人自身が決めるべきことだろう。
彼女は、飲食業はワンピースの世界なんです、と表現した。人気漫画であるワンピースだ。飲食業では、同僚との感情としての繋がりが重視される。その一方、経済的側面や労働の辛さは軽視されがちなのだ、という意味だろう。
飲食業全体として、そういう傾向があるというのは想像がつく。私は納得感を持った。
同時に、その環境を「ワンピースの世界なんです」というひとことで表現した彼女は、言葉選びのセンスがあると感じた。彼女は頭の良い人だ。それがにじみ出ている、と感じた。
私は彼女へ、彼女の労働環境はおそらく違法状態であることと、経済的に考えれば極めて不利な労働条件に見えるということを伝えた。今の条件で長く働き続けることは、経済面、精神面、両面から難しいのではないか、とも伝えた。そして、それを理解した上で今の環境で働き続けるのならば、それはそれで夢の追い方として有り得るだろうとも言い添えた。
飲み屋にて
確定申告の難しい話を終えて、飲み屋へ向かった。駅から見ると、いつも授業をしていた教室と逆の方向にある飲み屋さんだ。少しの距離だが、街並みを新鮮に感じる。
中に入る。席に着き、授業をしていた頃の話や、卒業生さんのその後の話を色々と聞いた。
佐々木さんが受けた前回の講座は、5月から7月までの3ヶ月のカリキュラムだった。同様の内容の講座が、また11月から始まっていた。
[speech_bubble type="std" subtype="L1" icon="sasaki_san_20191118.png" name="佐々木さん"]今度のクラスは、可愛い子とかいますか?[/speech_bubble]
佐々木さんは、こういう、普通は聞きづらいことをサラっと聞いてくる。女性から男性へこの質問をする場合、大抵の人は躊躇するものだと思う。ましてや先生という立場の人にこれを聞くというのは、あまりないことだ。
佐々木さんは、こういう質問をさらりと聞いてくる。その、気軽に突っ込んで聞いてくる感覚が心地良い。私は、その距離感を好む。
心地良いのはいいのだが、この質問に対しての答えは難しい。口が動くのに任せると、私の口はこう喋った。
[speech_bubble type="std" subtype="R1" icon="m.jpg" name="私"]うーん、私は女性を全員好きだから、個別に可愛いとかどうとかあまり考えないんですよねえ[/speech_bubble]
[speech_bubble type="std" subtype="L1" icon="sasaki_san_20191118.png" name="佐々木さん"]なんですかそれ(笑)[/speech_bubble]
[speech_bubble type="std" subtype="R1" icon="m.jpg" name="私"]こっちから何か行動するかどうかは全く別の話ですけど、好きかどうかで言ったら全員好きです。[/speech_bubble]
[speech_bubble type="std" subtype="L1" icon="sasaki_san_20191118.png" name="佐々木さん"]じゃあ、たとえば70代の人とかでも?[/speech_bubble]
[speech_bubble type="std" subtype="R1" icon="m.jpg" name="私"]少なくとも、話してみたい、とは思います。[/speech_bubble]
私の口はうまくできている。この答えは、正確かつ適切だ。
私が女性を全員好きだ、というのは、たぶん本当だ。女性と話すと、私の心は踊る。
また、今の受講者さんに私の中での差をつけない、という意味でも、これは良い答えだ。
佐々木さんが今の受講者さんと接触する機会は、おそらくない。だから、ここで何を答えてもどこにも影響しないはずだ。それでも、受講者さんへの対応について差をつけないことは、私自身の価値観として大事にしたい。
私は、良く言えば博愛主義者だし、悪く言えば浮気者だ。
私の愛は誰に向けても発生する。その愛に価値はあるのだろうか。博愛とは愛に含まれるのだろうか。
全員好きだ、ということは、言い換えれば、私の愛はいくらでもたくさん生産されるということだ。つまり、私の愛には希少価値がないことになる。
博愛としての愛、希少価値のない愛は、一般的に言う愛に含まれるのだろうか。この種類の話をするたびに、その疑問が産まれる。そして解決しないまま消える。いつまでたっても、ぐるぐると同じ場所を回るばかりだ。
たぶん、博愛が愛に含まれるか否か、といった曖昧で哲学的な問いは、おそらく過去の偉い哲学者たちが考え抜き、すでに答えを出していることだと思う。すでに答えが出ているものに対して私がまた自分で考えるというのは、とても無駄なことに思える。
過去の哲学者たちが出した結論や、様々な教科書に載っていることを全てデータ化して、私の頭にUSBポートの穴を開けて、それらのデータを脳内に直接流し込むことができたらどんなにすばらしいだろうか、と、よく考える。
今の人類は、それぞれの人の間で知識の継承をするには、書籍を読むしかない。賢人の脳内に蓄積されている知識を、まず文字にして、書籍にまとめる。それを他の誰かが買い、中身を目で見て、画像として脳に送り、脳で文字を文章として解釈することで、やっと別の人への知識の継承が完了する。
それはとてつもない無駄だと感じる。今の人類はその無駄を許容して生きていくしかない。自分で考えることが虚しいことのようにも思う。
巡り合わせ
この飲み屋さんの女性店員さんは、とても気さくな人だった。私たちに、多すぎず少なすぎず、絶妙な量の会話を投げかけた。私たちはそれを楽しんだ。
話してみると、このお店の店員さんは、佐々木さんが働いている街の飲み屋に行ったことがあるらしい。詳しく聞いてみると、なんと、それは佐々木さんが働いているお店だった。佐々木さんのお店のオーナーさんと仲が良いらしい。地方都市で店が少ないから、ということもあるが、まさかここでそういう巡り合わせがあるとは、と驚いた。
佐々木さんは、この女性店員さんとLINEを交換した。こういう繋がりができるのは嬉しい。
しかし一方、さっき書いたとおり、佐々木さんの労働条件は良くない。つまり、このお店の店員さんと、佐々木さんが働いているお店のオーナーさんは仲良しだけれども、そのオーナーさんは佐々木さんを良くない労働条件で雇っている。
人間関係は複雑だ。そういう混沌の中で生きていくのが人生というものなのだろう。
お別れ
佐々木さんの終電が近づいてきたので、程よい時間でお店を出た。
駅でお別れする。佐々木さんは、またレンタルしてもいいですか、という意味のことを言ってくれた。もちろん会うことは大歓迎だが、教え子からレンタル料を頂くのは、はばかられる。とにかく必要な時は呼んでくれていいですよ、と、レンタルの4文字を使わずに答えた。
受講生さんに、講座が終わってからも話したいと思って頂けることは、講師としてとても嬉しいことだ。
今日は心地良い一日となった。ありがとうございました。