ケイコさん LINEトラブルシュート(iPhone)
※この文章に出てくる名前は、私の名前以外は全て仮名です。
本日は、LINEのトラブルシュートをさせて頂きました。
私の主業はプログラマーだ。依頼の連絡が入った日、私は夕方から夜中にかけてプログラムを書いていた。自宅の薄暗いサーバールームの隅に置いた仕事机で、作業していた。そろそろ寝ようかなと考え始めた頃に、レンタル依頼のLINEが入った。依頼主様のお名前は、この文章ではケイコさんとしておく。
ITに詳しい方ですか?iPhoneの設定とかわかれば教えてほしいです
LINE通知来ないし、LINE電話が鳴らないんです。わかりますか?
明日バッテリー交換を予約していますが付き添いをお願い出来ますか?
私はプログラマーだから、ITに詳しいかどうか、という質問に対しては、詳しい方だ、と答えるのが適切だろう。
しかし、今回の依頼は、スマホアプリのLINEに関する依頼のようだ。みんな使っている、あの緑のアイコンのLINEだ。
私はスマホの中で動くプログラムは書いたことがない。それに、LINEの使い方に関しては、プログラマーよりは、IT系ウェブライターの人とかの方が専門性として一致度が高い気がする。
しかし、そういう人がこの仕事を受けるかというと、受けないだろう。対応がかなり大変だからだ。
スマホの使い方は、人それぞれでさまざまに違う。使い方が違うから、それぞれのスマホの中で何がどう影響し合っているかを判断することは難しい。
また、LINEというアプリには、それぞれの人の想い出が詰まっている。トーク履歴が消えたら悲しい、という感覚は誰でも持つだろう。対応に失敗すれば、その依頼者はひどく悲しんだり、怒ったりするかもしれない。だから、その仕事を受ける側からすると、とても緊張する。
ご連絡ありがとうございます。
ITに詳しいか、というと、私はプログラマーなので、基本的には詳しいです。ただ、スマホは専門外なので、自信を持って解決できると言えるかというと、正直なところ微妙です。
普通の人よりは詳しいということは間違いないですが、その不具合を必ず直せるかというと若干怪しいです。その前提でよろしければ、ひとまず見てみることはできます。
私はこのように、とても弱気な返事をした。
弱気な返事をしたことには2つの意図がある。ひとつは、自信がないことを正直に表し、依頼者さんから見て他に良い依頼先があればそちらの選択を促すため。もうひとつは、事前に自分のスキルを明示することで、作業に失敗した場合の依頼者様の落胆を防ぐことと、私自身にふりかかる賠償責任を少しでも減らすためだ。
私はプログラマーとして、開発系だけではなく、運用系の仕事も長く経験していた。既に動いているシステムやアプリケーションに手を入れる仕事に失敗した場合、最初に顧客へ伝えたサービスレベルがどうだったかによって、その後の対処や、顧客の満足度は大きく変わる。
たぶん、そのへんの勘所は、運用系プログラマーの仕事をしないと身につかないものだろう。その意味では、このLINEのトラブルシュートの依頼は、私が受けるべき仕事かもしれない。スマホやLINE自体の知識は専門ではないけれど、トラブルシュートの仕事の特性を知っているおっさんは、私以外にはあまりいなさそうだ。
緊張を伴うお仕事になりそうだが、ケイコさんはかなり困っている様子だ。それを解決する意味は大きいだろう。トラブルシュートのお仕事という側面を考えると、私は適任であるようにも感じた。
私は、お受けすることにした。
待ち合わせ
待ち合わせは13時にした。この日の午前中、私は東京駅近くのビルで仕事の打ち合わせがあった。それを終えたあと、待ち合わせ場所に向かった。
着きました、とLINEを送る。しかし既読がつかない。やはりケイコさんのスマホの調子が悪いのだろうか。
そのまま5分ほど待っていると、若い女性が私に視線を送ってきた。あれ、この人がケイコさんかな。でもLINEの既読がついてないぞ。
視線を送り返すと、その女性が私に歩み寄ってきた。たぶんこの人だ。ケイコさんですか、とお聞きすると、はい、とお返事が返ってきた。
聞くと、ちょうど今、スマホをバッテリー交換のために預けているとのこと。なるほど、だから既読がつかなかったのか。そこまで考えが及ばなかった自分が恥ずかしい。
バッテリー交換が終わるのが13時10分の予定だったので、そのまま一緒に修理屋さんへ向かった。修理屋さんで、ケイコさんがiPhoneを受け取る。このiPhoneにインストールされているLINEのトラブルシュートをするのが、今回のお仕事だ。
作業はどれくらい時間がかかるのか予測不能だ。とりあえず座れるところを、と考え、近くで喫茶店を探し、中に入った。
喫茶店にて
この喫茶店はベーグルとマフィンを売っているお店だった。喫茶店に入るとケイコさんは、甘いものはお好きですか、と私に聞いた。大好きです、と答える。
「これとか、カロリー爆弾ですよね」
バナナの乗った大きなマフィンを見て、思わず私はそう言った。
「でも、美味しそうですよ。お茶だけだと申し訳ないし…」
ケイコさんはそう言って、そのマフィンを私に勧めた。そう言ってくれるのなら、カロリーを摂取する自分を許せる。
「じゃあ、このカロリー爆弾、お願いします。」
冗談っぽく言ったつもりだったが、ケイコさんは気を悪くしなかっただろうか。おっさんレンタルのルール上、飲食代は依頼者様に負担して頂く必要がある。お金を出して頂く立場で食べるものを選ぶというのは、なかなかに難しい。
奢り奢られ問題
男女間の「奢り奢られ問題」というものがある。男女が食事をする際、割り勘をせずに、男性がすべての支払いを請け負うべきか否か、という問題だ。
女性は食事を奢られると心地良く感じる、というのが一般的な通説らしい。それに対して男性である私は、奢られると、申し訳なさが先に立つ。
もちろん金銭負担が軽くなることはありがたいが、申し訳なさの量と、金銭的負担が軽くなるメリットを比較すると、申し訳なさの量のほうがずっと大きいような気がする。
男性がお金を出してしまうと、そこには上下関係が発生してしまうのではないかという考えもある。この種類の話を耳にするたびに、女性はその点についてどう感じているのだろうか、と、うっすらとした疑問を感じる。
男性と女性の収入を比較すると、男性の収入のほうが統計的に多いことは明らかだ。そこから考えると、男性が出すほうが自然のような気もする。そのように考え始めると思考の枝葉がどんどんと伸びていく。私の頭では、それらを十分に追うことができない。
男女平等、という言葉が叫ばれてから、もう何十年と経っているけれど、この「奢り奢られ問題」については社会的な結論は未だに出ていないと思う。真に男女が平等なら、常に割り勘にするべきだ。しかし現実世界はそうなっていない。上記の収入差のような、付随する周辺要因もさまざまに存在する。
私自身は、たまにそのような場面に遭遇した場合は、私が全部出すことにしている。目の前の食事相手の、その瞬間の幸福に価値を感じるからだ。
この傾向は日本だけではなく、海外でも残っているように伝え聞く。たぶんこの問題は、人類がまだ解決できていないたぐいの問題だ。私がひとりで考えたところで答えなど出るはずがない。どっちが正しいのかわからないけれど、どうせわからないのだから割り切って行動するのが、個人としては最適解だ。
今の私は、女性と1対1で食事をする場面などほとんどない。また、今回はおっさんレンタルのルール上、依頼者であるケイコさんにお支払頂く必要がある。
現代社会としてどちらが正しいのだろう、などととぼんやり考えたが、今の私にはあまり関係のない話だ。無駄なことを考えてしまったな、と思いながら、ケイコさんの支払いを見ていた。
LINE通知障害の調査
席に着き、カロリー爆弾のマフィンをフォークで崩し食べながら、ケイコさんのiPhoneを見せて頂く。
前述の通り、私はプログラマーだけれど、スマホは専門分野ではない。それに加えて、自分のスマホはAndroidなので、最近のiPhoneの挙動については、あまりよく知らない。
ケイコさんのLINEは、確かに通知が来なくなっていた。私のスマホからLINEのメッセージを送っても、ケイコさんのiPhoneにあるLINEアイコンにくっついている未読の数字が増えない。しかし、アイコンをタップしてLINEの画面を開くと、メッセージ自体はきちんと表示される。
通知の設定は様々な場所に点在しているようで、普段iPhoneに慣れ親しんでいない私では、やはり一発解決はできなかった。仕方なく、私のスマホで色々とネットの情報を漁る。しかし、やはり答えが見つからない。
設定をいじっていると、ケイコさんのiPhoneにインストールされているアプリは、多くがアップデートされていないことに気付いた。もしかしたら、古いアプリがインストールされていることが、LINEに何か悪い影響を及ぼしていないだろうか。
おそらくiPhoneでは、アプリ同士で機能が干渉することはほとんどないと思う。しかし、他に解決の糸口が見つかっていなかった。
解決の可能性は低いが、古いバージョンのアプリを使い続けるのはどちらにしろ良くない。それをお伝えし、それらのアプリのアップデートを提案すると、ケイコさんは了承した。
アップデートでは多くの通信が発生する。4G回線でアップデートするのは良くないだろう。ケイコさんのiPhoneを、私が持っていたWiMAXルータにWiFi接続し、全てのアプリのアップデートを開始した。
アップデート中の会話
アップデートは、思いのほか時間がかかった。待っている間、ケイコさんと会話をする。
ケイコさんがバッテリー交換したiPhoneを電器店で受け取る際、私はケイコさんと一緒に細かな説明を受けた。店員さんの説明を、噛み砕いてケイコさんにお伝えするためだ。全ての説明が終わり、ケイコさんがiPhoneを受け取ったあと、ケイコさんは受け取りのサインを書いた。
そのとき、ケイコさんの名前の漢字が見えた。だいぶ古風な漢字のチョイスだな、と感じた。
待ち合わせのとき、私はケイコさんを、若い女性だ、と認識した。しかし、この名前は若そうな印象ではない。喫茶店でカロリー爆弾の話をした時の立ち振る舞いも、とても落ち着いた様子に見えた。
話をすると、ケイコさんは、小学生のお子さんと一緒に住んでいると仰った。なるほど。それなら私と同じくらいの歳かな。たぶん、美容に気を使っていらっしゃって美しさを保っているのだろう。
iPhoneにはキッズラインのアプリが入っているのも見えた。ベビーシッターさんを雇いながら子育てされているそうだ。ケイコさんは、私が「ベビーシッターのおっさん」として活動していることをご認識だったので、シッター談義に花が咲いた。
「それで、その子は、私の孫なんですけど。」
孫…?
「え?お子さんじゃなくて、お孫さんなんですか?」
「ええ、そうなんです。」
「いや、あの、立ち入ったことをお聞きしますが、ケイコさん、私と同じくらいの歳ですよね?」
「いえ、だいぶ上です。」
「私は42歳です。だいぶ上、とは見えませんが…」
私の言葉を聞いてケイコさんは、産まれた年を仰った。確かにだいぶ上だ。私より一回り以上、歳を重ねられていた。その年齢を聞いても、私はそれを納得することができなかった。
美魔女だ。まさに美魔女だ。美魔女がここにいた。
ケイコさんには私に嘘をつくメリットなどない。ましてや、歳を増やす方向でサバを読むなんていう酔狂なことをする人はいないだろう。私はケイコさんが仰った年齢を頭では信じたけれど、自分の頭の中のイメージと乖離が大きすぎて、なかなかその情報が心に馴染まなかった。
ケイコさんが仰ったその年齢は、確かにそう言われれば、その年齢だと思えなくもない。しかし、事前情報なくお顔を拝見したら、おそらく30代前半の人だと感じると思う。無理をして若作りしている感じでもない。やはり、美魔女さんという形容がふさわしい。
16歳の出産
ケイコさんのお子さんはお二人。お孫さんは小学生。お孫さんは、26歳の娘さんのお子さんだそうだ。その娘さんは、16歳でその子を産んだという。
親としては、自分の子が16歳で子を産むということに対して、さまざまな葛藤があったろう。ケイコさんは、その時の葛藤について少し教えてくれた。色々な選択肢を検討する中で、産んで里子に出すことも考えたという。特別養子縁組を希望するどこかの他人に、その赤ちゃんを託すということだ。
しかしその場合、ケイコさんも、産んだ娘さんも、産まれた赤ちゃんには一切接触することができないルールになっていたそうだ。その産まれてきた赤ちゃんは、産まれてすぐに、どこかの保育施設に移動させられる。ケイコさんも、産んだ娘さんも、産まれてきた赤ちゃんの顔を見ることはできない。今、そのルールがどうなっているかはわからないが、少なくとも当時はそうだったらしい。
そういうさまざまな選択肢について検討に検討を重ねた末、家族で育てることにしたそうだ。
子を産むという決断は、周囲の反応も考慮するべきだけれど、産む当事者である娘さんが決めるべきことだろう。娘さんは、産むと言って一歩も退かなかったそうだ。
子を産むときの、産む当事者である女性の気持ちは、私には想像がつかない。また、その人の年齢にもよるし、性格にもよるだろう。考えに考え抜いて重い決断として産むことを選択したのかもしれないし、薄っぺらい反抗心で産んだのかもしれない。
中絶は女性の権利、というフレーズがある。少なくとも現代社会では、その権利は、妊娠した女性ひとりの権利として認められている。私もそれは正しいと思う。
どういう経緯であれ、中絶する時に手術台にのぼるのは女性だ。女性の権利だ、と言わなければ、その女性は救われない。
中絶したくて中絶するひとはおそらく少ない。周りから色々と言われたり、子育ての負荷が苦しいと予想するからこそ中絶するのだろうと思う。
極端な話、産んだあとに親としての義務が発生しないのなら、産んでもいいかな、と考える人は今よりも増えるだろう。つまり、中絶を発生させている大きな原因は、親としての義務を発生させている社会的要請だ。
中絶は良くないことだ、という論説があるのは、感情としてはよく理解できる。しかし、そういう論説を話す人の多くは、産んだ親を直接的には助けないように思う。子育ては苦しい作業だ。その苦しむ人を助けないのに、なぜその人の選択に干渉しようとするのだろうか。そこには大きな矛盾がある。
赤ちゃんが産まれてくるためには、それなりの社会整備が必要だ。その中のほんの一粒になれるのではないかと考えて、私はベビーシッターのおっさんとして活動している。
ケイコさんの娘さんは、中絶せずに子を産むことを選択した。
子を生む前も産んだ後も、娘さんとケイコさんは、巨大で無慈悲で理不尽な社会的要請を押し付けられ、苦しんだだろう。ケイコさんはしっかりした大人に見えた。ケイコさんの孫として産まれてきたその子は、幸運であったのだろうなと思う。
ケイコさんは、お孫さんの子育てについて、楽しい時もあれば苦しい時もある、ということを仰った。もちろんそうだろう。自分の時間をすべて奪われる苦しみは、その状況を経験しないと理解できない。ケイコさんは、おそらく娘さんと旦那さんとで子育ての作業負担を分散しながら、なんとかやっているのだろう。
「子育てで疲れ果てて自分のことは何もできてないって人、結構いるじゃないですか?私はそうなりたくないんです。」
ケイコさんはそう仰った。その考えは健全だ。自分の美意識に叶う自分を実現することは、自分の幸福にとって重要だ。
「子育てで疲れ果てて自分のことは何もできてない人」は、自身の幸福を削り取ってなんとか子どもを育てている。どうしようもなく辛いことだろう。ケイコさんはその状態に陥ることのないように、工夫をこらしながら生活されているようだ。
子育てで疲れ果てている人も、ケイコさんのように比較的うまく立ち回っている人も、それぞれに尊いと思う。しかし、どの立場の人も、できる限り自分自身の幸せを追求して欲しい。
「子育てで疲れ果てたくない」という趣旨の言葉を言うことは、勇気の要ることだと思う。それをさらりと口に出せるケイコさんは、生きる意思と度胸のある人だ。
アップデート完了、しかし直らず。LINE再インストール
アプリのアップデートは、1時間ほどかかった。ケイコさんのモバイルバッテリーがカラッポになったので、私のノートパソコンをモバイルバッテリー代わりにして給電を続け、アップデートは無事完了した。
しかしやはり、LINEの通知は直らなかった。
仕方ない。再インストールするしかないな。たぶんどこかに私の知らない設定があるのだろうけど、今日の限られた時間内ではそれを見つけらないだろう。
LINEの再インストールというのは、前述の通り非常に緊張する作業だ。失敗すればトーク履歴は消える。知識のない私は、自分のスマホで手順を注意深く確認した。
ケイコさんに確認する。
「やはり、再インストールしかないみたいです。おそらく成功しますが、失敗する可能性もあります。失敗したら、トーク履歴は全て消えます。再インストールしますか?」
「はい、お願いします。こういうのは自己責任だと思うので。」
ケイコさんは凛としてそう言った。さすが、度胸のある人だ。
緊張しながら作業する。まずiCloudにバックアップを取る。次は、LINEのアンインストールだ。
「ここをタップしたら、この端末の中のLINEのデータは全て消えます。バックアップから復元できるはずですが、成功を保証することはできません。タップしてよろしいですか?」
「はい。自己責任ですから。」
「わかりました。それでは、タップします。」
画面上のバツ印をタップして、LINEのアンインストールを行った。次は、LINEの再インストールだ。再インストールも、一瞬で完了。次は復元だ。
再インストールしたLINEのアイコンをタップする。LINEのアカウント確認画面で、電話番号でのSMS認証を行う。認証が通った。
そして「トーク履歴をバックアップから復元」をタップする。バックアップファイルは200MBほどあった。ダウンロードが始まった。
2年ほど前、私が自分のスマホのLINE移行をした際は、LINEの復元は手間のかかる作業だった。今は、このボタン一発で完了するようだ。しばらく待つ。10分ほどで、復元が完了した旨の表示が出た。
トーク履歴を確認する。確かに復旧は成功したようだ。写真も残っている。
では、そもそもの依頼の元となった通知はどうだろうか。私からケイコさんへ、LINEのメッセージを送る。すると、ケイコさんのiPhoneに通知が表示された。
「来た!」
ケイコさんは、緊張から一瞬で解き放たれたのか、弾けるような笑顔で、私に握手を求めて手を差し伸べた。私は私で、成功した喜びが爆発した。私たちは手を取り合って喜んだ。
そのあと、いくつかのパターンで私のLINEからメッセージを送った。全て通知が表示された。問題なく成功したようだ。
これで、お仕事は完了だ。
お仕事完了後
再インストールに成功した後にも、少し時間を取ってお話した。お孫さんのこと、ケイコさんご自身の幸せのことなどだ。
ケイコさんの旦那さんは、ケイコさんを束縛しがちらしい。束縛するというのは、良いことではない。でも、旦那さんは不安でたまらないのだろう。こんな美人さんが妻ならば、不安になる必然性はある。
ただ、強くなってほしいなとも思う。
束縛すれば、旦那さん自身の不安は短期的にはいくらか減るかもしれない。しかしそれと同時に、妻であるケイコさんの幸福度は削り取られる。それに、束縛すればするほど、ケイコさんが自分のそばにいることが、愛情に起因するものではなく、束縛の結果だという解釈が、旦那さん自身の中で膨らんでいくだろう。その結果、ますます不安になっていくのではないだろうか。
誰しも寂しがり屋さんだ。私は中年になってから、いろいろな人の恋愛模様の話を聞く場面が多くなった。束縛の強い男性は、ことのほか多いようだ。
しかし、束縛するということは、相手を惹き付ける魅力が自分に無いことを自覚していることを表している。弱い犬が怯えてキャンキャンと吠えるようなものだ。
もちろん、束縛したら即ダメな男、とは思わない。人の魅力は多面的だ。ケイコさんは旦那さんと長く結婚生活を送っている。束縛する面がある一方で、他の部分での魅力をたくさん持つ人なのだろう。
消滅世界という小説がある。家族観が大きく変化したときのバッドエンドを表現したSF風の物語だ。私は偉そうに「束縛は良くない」とか言っているけれど、それが無くなったら、思いもよらない悪いことが発生するのかもしれない。
私は自分の頭の中であれこれと考えているけれど、結局は正解など出ない。大きな問題を個人の頭で考えることは、あまり意味のないことなのかもしれない。短期的な幸福を手に入れることを目標に、反射的に行動していくしかないのだろう。
お別れ
喫茶店を出て、駅へ向かう。緊張したけれど達成感のあるお仕事でした、とお伝えしてお別れした。ケイコさんは駅ビルの地下街で夕食の買い物をして帰るそうだ。裕福で美しい人のイメージにピッタリだ。
希少な経験の話をお聞きすることができ、私としてはとても楽しい時間だった。達成感も得られた。こんなに良い仕事はあまりないだろう。
本日はありがとうございました。またお会いできますように。